常識を疑うことが新たな道を切り開く

■こんにちは
pro.Flyaway代表のふじぬまさとしです。

 

何事も
一度は疑ってみることが
新たな道や可能性を
切り開くことになったりします。

 

ただ、

 

人を疑うことは
良くないことだよ。

 

疑ってばかりいたら、
うまくいかないよ。

 

…とご両親や身近な大人から
一度や二度は言われたことが
あるかもしれません。

 

それくらいに
疑うこと疑問を持つことに対して
悪印象を抱いている人も
いるのではないでしょうか。

 

しかし、

 

疑問に思うことって、
今ある現状を変えるためには
必要なことだったりします。

 

信じるばかりでは、
わからないこともあります。

 

例えば、

 

今ある常識は
これまでの過去や
これからの未来では、
非常識といわれる(た)こともある。

 

スマホなんて
今は当たり前だが、
昔は影も形もありませんでしたし
この先なくなることだって十分にある。

 

常識を疑うことは
常識に縛られないために
とても大切なことです。

 

人の言葉や
成功法則などもそう。

 

ある人にとっては大事な言葉や
うまくいく方法も、
人によっては真逆の場合だってあるし、
時がすぎると
時代遅れになったりもする。

 

人によって
国によっては
生まれた環境や習慣、
法律などが違うから、
正しいことや間違ってることも
違っていたりします。

 

だからこそ、
常識や見た目、
過去や現在の情報など
に惑わされず、

 

目の前にある知識や情報を
客観的に冷静に
疑ってみることって必要なことなのです。

 

疑うことの大切さ

 

何度繰り返しても
うまくいかないことって
誰にでもあるものです。

 

そんな時こそ
疑うべき時です。

 

何かが間違ってないか?!
もっと別の方法があるのではないか…と

 

その上で
よくよく考えることです。

 

今ある常識や約束ごとは
自分自身にとって必要ものか、
望みを実現するための
妨げになっていないだろうか、

 

など。

 

いろいろな視点で
考えることで、
自ずと当たり前になっていた
現実の裏にある
新たな事実が見えてくるかもしれません。

 

ココで
ちょっと注意です。

 

疑うだけだと
ただの嫌な人になりますね笑

 

なんでもかんでも
闇雲に疑えというわけでもありません。

 

ただ、

 

疑うことを
完全に止めてしまうと、
心理的な盲点を
作り出しやすくなります。

 

信じることは大切だが
信じすぎることは危険なこともある。

 

疑うことで、
これまでの迷いが晴れるということも
良くある…ことです。

 

この時に
考えるだけでは不十分です。

 

考えばかり
巡らせてしまうと、

 

ちょっとしたことを
ひどく恐れるようになったり
すべてのことを
信じられなくなってしまうような
疑心暗鬼状態にもなりかねません。

 

きちんと行動した上で
疑わしき部分を確かめましょう。

 

ほとんどのことは
不信に思えても大丈夫なことが多く、
結果的に
安心感を与えることだったりします。

 

想像=イメージだけで
人(自分も含む)の言葉や知識や経験を
「必要ないもの」や「いらないもの」と
決めつけてしまうのはお勧めしません。

 

考えることと行動は
常にセットで成り立ちます。

 

疑うことは勇気がいること

 

常識や今ある日常に
「疑いのメス」を入れるということは
現実がもろくも
崩れることにもなりかねません。

 

今まで「価値あるもの」
だったものが、
そうじゃないことに
気づくことだってある。

 

その反対に、
今まで気づいていなかった
「価値あるもの」に気づくかもしれない。

 

こればかりは、
そこに行ってみないと
わかりません。

 

ただただ
信じ続ける方が
「ラク」かもしれません。

 

何も変えなくていいし
何も考えなくてもいいし
特別な行動を起こさなくても
いいのですから。

 

もし
あなたが今のままでは
満足できない。

 

今ある問題や
つらい現実を変えたい。

 

望みを叶えたい。

 

そう望むのであれば、
勇気を出して今あることを疑い、
その疑いを
自身の手で晴らすことです。

 

最後に

 

私のことも
疑ってみて大丈夫ですよ(^^)

 

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