人のためのサービスって、なんでもしてあげることじゃない!

■こんにちは
pro.Flyaway代表のふじぬまさとしです。

 

私は、
パートナーである奥さんのために
小さな二人の愛娘(7歳と0歳)たちのために
3匹の可愛い猫ちゃんたちのために、

 

友人や
顧客さんのために、

 

人生に悩んでいる人のために、
人生をより良くしたいと望む人のために、

 

日々
自分自身が出来る
最大限のサービスを提供しています。

 

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サービスとは…

 

個人(客・来訪者)や社会や家族に対する、
奉仕的な活動、また、職務としての役務提供。

 

Google検索より。
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…なのですが

 

私にとってのサービスは
大切な家族のためや仕事として
クライアントさんのためにすること
なのですが、

 

「なんでもしてあげること」

 

…ではない
と私は考えています。

 

そして、

 

できるだけ
『してあげる』ことは
少ないに越したことはない。

 

…とも思っています。

 

可愛く幼い娘たちのためなら
パパは…なんでもしてあげるぞ!!

 

…って気持ちがあるし、
そうしがちなところもあるのですが、

 

特に0歳の娘には
かなりその傾向高いです。(汗

 
IMG_2016
 

…まあ、
生まれて3カ月の赤ちゃんなので
当然の部分も多いですが、

 

幼い娘のことだとしても
少しでも子供達ができることは
無理のない範囲で、
子供たちの力と意思で、
させてあげようと思っています。

 

なぜかというと、
なんでもしてあげてしまうと、
子供達が自分自身の力や気持ちで
「できる」ようにならないから…。

 

なんでもしてもらえると何もできなくなる

 

なんでも
人の力に頼って
やってもらってしまうと、
自分自身で『できる』ようには
なりにくいものです。

 

心や体、そして人生を
コントロールしているのは、
あなた自身です。

 

ただ、

 

コントロール
できるといっても、
それが可能であることを
知っていることと
実際にコントロールした体験
プラス、その上に身についた能力が
必要となります。

 

人に頼りきりで
何も考えることなく
なんでもやってもらってしまうと

 

知恵も能力も
何も身につきません。

 

人がいないと
何もできない人ができあがるだけ。

 

己の人生全般を
手放しで生きていては
あなたの手元には操縦不能の
自分自身(生き方や心など)が残るだけです。

 

そんな風に
ならないために
できることやできそうなことは
自分自身でやることです。

 

そして、

 

学ぶこと、理解すること、
自分のために誰かのために
それを活かせるようになること。

 

周りの人たちは
それをサポートすることに徹する。

 

それは時には
「何もしないこと」であり、

 

自分自身が
実際に「やって見せること」で
あったりします。

 

できるだけ
サービスを提供する側が
主体で手を貸さないこと。

 

相手にアドバイスをしたり
悩みごとなどの
相談に乗ったりすることも

 

相手が自主的に
求めてきた場合だけに限定することも
必要かもしれません。

 

もちろん、
子供たちのように
年齢的にどうやってもできないことや
緊急のサポートが
必要な場合などもあるので、
その時は直接手を差し伸べて
助けることは必要なことです。

 

自主性を重んじて
手を貸さないと言っても
ケースバイケース(臨機応変に)です。

 

ただ…

 

人のためのサービスは
できうる限り
そうあるべきではないかと思うのです。

 

私自身、
好きなことや
これまで経験を活かして
個人起業したことや
料理や心や体に関する知恵など、

 

これまで
できるようになったことは
人の手を借りずにやってきたこと、
または人の手を借りても
その多くを「自主的」に取り組んできたことでした。

 

反対に

 

できなかったことや
長い間、できずにいたことは
人の手を借りてばかりで
ほとんど自分自身で何もしていないこと。

 

…だったのです。

 

その中でも、

 

最も効率よくいい形で
できるようになったことは、
自主性を損なわず

 

自分自身の力で
やればできること(その可能性があること)を
最大限にして、

 

人のサポートが必要な部分
(どうやってもできないところや未熟すぎるところ)は
十分に人の力(経験や知識、スキル)を借りて、

 

自主性とサポートの
バランスが良かったところでした。

 

人は、
自分自身でやりたいこと
思ったことに対しては、
そうでないことに比べて
何倍も情熱やアイディア、
行動力が発揮されます。

 

読みたいと
思って読んだ本。

 

知りたいと
思って得た知識。

 

考えようと思って
考えるのが楽しくて
アレコレと考えたこと、

 

興味を持って
やってみたいと思って
行動に移してみたこと。

 

そうして
望んで得たものは、
何事にもかけがえのない
「価値あるもの」になるからです。

 

子育てでも仕事でも
ボランティア活動でも
人のために何かをしたいと

 

望むのであれば、
相手の自主性を損なわないような
サポートを心がける必要があるのです。

 

人のためではなく自分自身のためのサービス

 

なんでも
やってあげ過ぎてしまう人は、
もしかしたら、
自分のためのサービスに
なっているかもしれません。

 

確かに、
仕事上のサービスは、
生活のため
お金をもらうためといった面も
もちろんあります。

 

家族サービスをするのは、
奥さんや子供達が大好きだから、
大好きな人には幸せでいてほしい。
笑顔をみたいから、

 

サービスを提供するのが
好き…

 

サービスを通して、
人が喜ぶ笑顔が見れるのが嬉しい。

 

そんな思いもあるでしょう。

 

そんな風に、
自分がそうしたいから…という気持ちで

 

自分自身の心を満たすために
相手のためのサービスをしていることも
多いものです。

 

ただ、

 

それが過剰になりすぎると、
相手の自立を妨げることになったり
相手の意思を無視する結果になったり
してしまうのです。

 

これでは
相手のためのサービスではなく、
相手を不快にさせたり
依存心を強めてしまったり
マイナス面が強くなり過ぎてしまいます。

 

そうならないためには
人のためになること以外で
自分自身の心を満たすことです。

 

自分の心
(人生や体等も含む)が
きちんと満たされていると、

 

人の意思や
尊厳を無視したり
その力や自己成長を削ぐような
行き過ぎたところには
向かいにくくなるものです。

 

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なんでもしてあげたくなる
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その裏に
自分のためが
たくさんたくさん隠れている
かもしれないのです。

 

もちろん、
人に何かをして
あげたくなるのは、

 

純粋にその人の
「幸せ」を望む慈しみの心が
そこにあるからでもありますし、

 

失敗して
うまくいかなくて、
「不幸」になったら
可哀想といった
人の痛みを思う優しさもあります。

 

その反面、

 

その人の
自主性に任せて
大丈夫かな??

 

ちゃんと
できるかな??

 

…といった
相手に対する不信感を拭うため

 

できない人を見ると
イライラするから、

 

…といった
理由もあるかもしれません。

 

それらの思いは、
自分自身の心の中にある
「望み」の表れでもあるし、

 

解消されていない
「悩みごと」の表れである可能性もあるのです。

 

最後に…。

 

どんな動機で
サービスに向かうかは
人それぞれですが、

 

相手の状態に合わせて
ちょうどいいサポートが
できる…お互いにいい関係でいられる
と私は思うのです。

 

そのためにも、
あなたがなぜ
「人のため」に行動するのかの
顧客へのサービスとに向かうのか、
考えてみることです。

 

そして、

 

それを受ける側は、
そのサービスに過剰に期待いないか
自分自身でできることを
十分にしているだろうかと、
考えることです。

 
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