疑り深いのも問題だが 、馬鹿正直も問題

■こんにちは
pro.Flyaway代表のふじぬまさとしです

 

あなたは、
疑ぐり深い方ですか?
それとも
馬鹿正直な方ですか。

 

『疑うこと』は、大切です。

 

人は間違うものですし、
嘘をつく人もいますから、
なぜ??
その人は
そんな行動をするのか、
そんなことを言うのか…
相手の意図を考える
(想像する)ことは 必要です。

 

また、現状に疑問を持つことも
必要なことです。

 

この人生で間違ってないか、
もっと違う生き方があるのではと。

 

よりよく生きる為にも
欠かせないことです。

 

ただ、
疑ってばかりで、
ひと(自分自身も含む)を
信じれなくなったら、
安息の地を失いどこへいっても
心が休まらず、
経験から
周囲から学ぶこともできなくなり、
苦しくなってしまいます。

 

『信じること』も大切です。

 

馬鹿がつくほど
素直に真っ直ぐに
ひとを信じることもやっぱり大切。
 

自分自身の
進む道は間違ってない
大事な意味がある。

 

この人には
十分な可能性(才能)がある。

 

自分ならなんとかなると…
そんな風に思えることで
道が拓けることがたくさんあるからです。

 

どちらも『できること』が大切。

 

否定的(ネガテイブ)に物事をみて
肯定的(ポジティブ)にも物事をみることは、
どちらにも意味があって、
活かすことができるものなのです。

 

ちなみに、
疑い深くなったり、
馬鹿正直になるのは、
ひとを信じられなくなるような
経験をしていたり、
言いたいことが言えない
表面的な関係ばかりを経験していると
そうなりがちだったりします。

 

どちらにしても、
傷ついた自分や
満たされぬ思いが
そこに存在しているので、
それを癒すことが、
『疑うこと』と『信じること』の
バランスを取ることにつながります。

 

そして、
やがて人生により良い形で
それらが活かせる能力となってきます。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA