辛い出来事は「より良い明日」への架け橋

日々ただ仕事が忙しいだけで
これといったストレスもなく
あとは平和な日常が流れていく。
 
それで普通に年を取って
普通の人生を終えていく。。。。
 
 
ある意味でそれは
とても幸せなことなのかもしれません。
 
 
しかし誰しもが一度は
 
 
なかなか立ち上がれないほどの
深い悲しみに出会ったり
 
 
辛い出来事に翻弄されたり
 
 
自己嫌悪に陥って
 
 
「なんのために生きてるんだろう」
 
 
と、苦しい気持ちで
いっぱいになってしまった経験が
あることでしょう。
 
 
でもそんな辛さって
なんのために起きるんだろう?
 
 
なんでこんな思いしなくちゃいけないんだろう?
 
 
と、思いませんか?
 
 
 
◆辛い出来事はより良い明日への架け橋
 
 
 
一人一人の人生は
 
 
「より良い未来のために」
 
 
あるといっても過言ではありません。
 
 
 
辛い出来事があると人は
 
 
「じゃあどうする?」
 
 
と必死に考えます。
 
 
そしてもう二度と
その辛さを繰り返さぬよう
努力をするでしょう。
 
 
人がより良くなるための
行動をはじめるには
 
「辛い出来事」がきっかけになることも
多いものです。
 
 
世の中のお金持ちの人たちが
一度はひどい貧困を経験していることが多い
 
というのも
 
そういうことです。
 
 
彼らは辛い現実を変えるために
必死の努力をしたから
 
大きなリターンを
得ることができたとも言えます。
 
 
 
私などは幼少期、ほとんど会話のない
家庭に育ったので
 
そのさみしさを解消するために
人の気持ちに必死で耳を澄まし
 
心通う会話を
身に着けたことで
 
コーチ・コンサルタントとして
仕事ができるようになりましたし
 
 
かつての家庭を反面教師にしたことで
 
 
今は暖かい家庭を築くことができました。
 
 
しかしあの辛い幼少期がなかったら
 
 
どうやったら
この幸せを作っていけるのか
 
 
わからなかったかもしれないとも思うのです。
 
 
 
◆私たちが生きている意味
 
 
 
長い目で見たら、人間の社会は
辛い出来事のオンパレードです。
 
飢餓、伝染病など
 
今の日本ではほとんど
目にすることもないようなことも
 
数百年前までは当たり前のことでした。
 
 
戦争だって当たり前にやってましたよね。
 
 
でも、その辛さを経験した人たちが
「これじゃいけない」と
 
必死の努力を繰り返した結果
 
産業や医療の発達
国際社会の平和が
 
少しずつ実現されていったのです。
 
 
しかし当時の人すべてが
世の中全体のことを考えて
行動していたわけではないはずです。
 
 
自分自身の幸せや
自分自身の家族を幸せにするために
 
一人一人ができることを必死にやった結果
 
社会全体が少しずつ
良くなっていったのでしょう。
 
 
少なくとも私は
私の子供たちに
 
幼いころの私のような
さみしい思いをさせていないことだけは
 
自信があります。
 
 
そんな一人一人の小さな一歩の積み重ねが
 
 
いつか未来を変えていきます。
 
 
今の自分の人生と真剣に向き合い、
 
 
目の前にある痛みを
どう乗り越えていくかに注力し
 
 
なにごとにも懸命に取り組み続けることで
 
 
いつか
私たちの次の代が
 
より良い時代で生きれるようになったら
 
 
それこそ今の私たちが
ここに生きている意味なのでは
ないでしょうか。