痛みや悲しみなどの「ネガティブ」なことは悪いことか

■こんにちは
pro.Flyaway代表のふじぬまさとしです。

 

悲しみや痛み、苦しさもなど
文句や愚痴、ひとを責めることなど、
ネガティヴなこと
(感情や出来事)には
悪いイメージがつきものかもしれません。

 

そして、
できれば避けたい
遠ざけておきたいこと
…と思っている人も
少なくないでしょう。

 

『ネガティヴ』なことって
それほどに悪いことでしょうか。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【補足】悲劇と呼ばれるような
突発的に起こる悲しい出来事もありますが、
ここで語るのは、日常生活の中で起こる
ネガティヴなことです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

例えば、
小さな赤ちゃんが
泣いている。

 

文字だけみて取れば
悲しい事かもしれませんが、
お腹を空かせたことを
パパママに頑張って知らせている。

 

転んでしまって怪我をしたことや
熱があることを伝えていたりする。

 

こんな声が
ネガティブなことには
たくさん含まれていて、
心や体、その人自身からの
大事なメッセージを伝える役目があります。

 

ーーーーーーーー
『なくては困る』
ーーーーーーーー

 

そんな一面もそこにあるのです。

  

確かにネガティブなことって
何らかの苦痛になることをともなうので、
ついつい悪いものと
考えがちになるのはわかります。
私だって、辛いことは、
できるだけ少ないにこしたこたないと
思っています。

 

ただ、
つらいからこそ、
真剣に受け止めるということもある。

 

痛みがあるからこそ
どうにかならないかと考える。

 

これが全然取るに足らないこと
だったら、まったく見向きもされずに
終わるかもしれません。

 

ある程度の苦痛があるから、

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー
何とかそこから抜け出したい
何としてでもつらいことをやめたい
ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

…そんな気持ちが生まれ、
それをきっかけとして
生活習慣や生き方や
人生そのものを改めることが
できることもあるのです。

 

もっとも問題なのは、
悲しいことやつらいこと
そのものではなく、

 

ネガティブを
ーーーーーーーーーーーーーー
悪者にして見なくなること。
放置して無視してしまうこと。
ーーーーーーーーーーーーーー

 

悲しみ、辛さ、
苦しさ、しんどい、痛いの多くは
自分自身を守るためや、
癒すため、活かすために必要なことを
教えてくれていることなのです。
 

それを無視したら、
大切なことを無視することになる。

 

だからこそ、
どんなに無視されても
遠ざけられても、
心も体も
捨てることはできないから、
無視無関心を強めるごとに
ネガティブなことは
もっともっと大きく強くなる。
姿を形を変えてでも続いていく。

 

これが嫌われる
大きな要因でもあるのですが、
それが
『ネガティブ流』の優しさだから。
何とか気づいて欲しい…という願いだから、
しかたがないんですね。

 

あなたは
痛みや苦しさといった
心や体の「声」を無視していませんか。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA