認められたいのに認められない人の心理

■こんにちは
pro.Flyaway代表のふじぬまさとしです

 

ひとは
『認められたい』生き物です。

 

人から認められると嬉しいし、
少しでも理解されると喜びを覚えます。

 

これは
人が持つ『承認欲求』ゆえのこと
でもあります。

 

人同士が助け合って
共に生きる社会において、
人から認められることは、
そこでいい関係性を築いて
より良く生きていくためには、
とても重要なことです。

 

そのため、
認められたいという思いは
どうしても強くなります。

 

ひとは、
自分自身のことを
認めてくれる人に好感を抱きやすく
興味関心を持つ…ということも
上記のことを
考えれば当然といえば当然。

 

なので、
人と仲良くなりたいなら、
まず相手を認めることからはじめましょう。
…そういうお話を前回しました。

 

 

ただ、
人のことを認めたいし、
認めた方が良いということは
こころの中のどこかでわかっていても、
『認めることができない人』がいます。

 

多少は誰しも
人に対して認められない部分を
持っているものです。
あの人のココが嫌いとか、
この人のコレだけは直して欲しいとか、
これは、
それだけ人間一人一人は
考えや好み、生きる目的、
進むべき方向などに違いがあるからです。

 

なので、
どうしても認め合うことや
理解し合うのに、ある程度の
時間がかかってしまうのです。

 

また、
『認められない』ことが
自分の心の中にあると、
それと同じ行為をする人や
それを持つ人が近づくだけで、
不快な気持ちになってしまいます。

 

これは
己の中にある
認められないことに気づき
それを認めるためにある
心の働きの一つです。

 

ただし…
認められないことが多いと
この働きのために
不快になる機会が増えてしまいます。

 

この際、
人を介して
不快な気分になることが
多いので
その人を
不快なことを持ち込む
厄介者扱いしてしまい、
責めてしまいがちになります。

 

自分のなかにある
認められていないことに
気づいていない状態では、
仕方がないことではあるのですが、
その結果として、
認められないことが…
それを持っている人たちが、
どんどん許せなくなってしまうのです。

 

これは、
認められたいという気持ちが
強くあることの反作用的なもの。

 

承認欲求は自他共に、
きちんと認められていれば
特に問題を起こすことはないのですが、
あまりにも
認められることが少な過ぎて
心が傷つき過ぎていると、
『認められない』ことに対し、
過剰に反応してしまうのです。

 

自分の思い通りにならない人や
理解できない人は、
全部「敵」の様なもので
相いれない存在。
…だから認めない。
反発する、
排除すべき対象。
認めないのは
相手がわるいという考え。

 

また、
もし認めてくれる相手が現れても
その言葉がうわべだけのことに
聞こえてしまう。
疑心暗鬼。
そんな風になりがちです。

 

『認められない』
その辛さから『認めない』を
周りに拡大してしまうのです。

 

これによって
本人も苦しむことになるし、
周りの人たちも認められないを
ある程度持ちながら生きているので
同様に苦しんでしまうこととなります。

 

ひとは余裕がないと、
自分のことはもちろん、
他人のことを
認めることも理解することも
難しくなります。

 

なので、
認められない時ほど、
余計に認められなくなるのです。

 

悪循環としか
言いようがない。
この状態にあって
悩んでいる人は
決して少なくありません。

 

そして、
そんな状態の人ほど、
自分自身がなぜ苦しんでいるのか、
なぜ認められないのか理解できていないし、
その状態を認められずにいます。

 

ここを抜け出すためには、
とにかく『認めること』
『理解すること』しかありません。

 

人の気持ちや考え、行動原理、
目的、性格、生き方、趣味嗜好、
なぜ認められないのか、
なぜ人を責めてしまうのか、
なぜ人を理解しようとしないのか、
認められないことが
あると不快な気持ちになるように、
認めることで、
快の(心地よい)気持ちが
現れてくるものです。

 

認められずにいる人ほど
自分自身のために認めましょう。
人を理解しようと努めましょう。

 

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